色々なことを、気の向いたままに。
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自分の場合
2009年 08月 16日 (日) 21:30 | 編集
分かっているようで分かっていない。

それが自分。

分かっているけど、分かっていないふりをしてごまかす。

それも自分。


ココ最近の夏休みで分かったことは、

・ひたすらだらだら
・食事は一日に1回とか
・超夜更かし、朝寝坊
・やらなければいけないことを後回し
・宿題・・・というか勉強が終わらない(あと丸々2冊残っている)
・でもやらずに現実逃避とか
・↑まさに今書いているblogとか
・外出しない
・外はいい天気なのに~
・本を読みたくても本がない
・ないことはないけど図書館がない
・最近ある事情で漫画本だけがある・・・
・ついでにWebコミックをみてしまい2時間経過
・0時まで3時間しかない!
・今日早く寝ないと明日に影響が・・・

友達の家に転がり込んだときもそうでしたが、わたしってば典型的な
「ひっきー」
ではないだろうか?というか間違いないよね。

アウトドア派に見えるけど、実は違い、
ただ単に面白いのが好きなだけ。
楽しいのが好きなだけ。

でも自ら動こうという気力が希薄すぎて
中々日常生活でのメリハリというか
規則正しくはないにせよ、もっとてきぱきと行動が出来ない。

日がな一日ぼーっとして
たまにネットして
お腹がすいたら食事を作り
小腹がすいたら和菓子とお茶をすすり
さっぱりしたものを食べたいときはフルーツにかぶりつき

で、結局一日何もしない。

頑張って何かしようとしても一個しか出来ない。
一日かけて布団を干す、とか
一日かけて靴を洗う、とか。

それでいてものすごく丁寧なわけではなく、適当。大雑把。

どうしてこうなんだろう?
何でもっとちゃんとできないんだろう?
もっと真剣に生きるってこと出来ないんだろう?

周りはちゃんとしているように見える。
一日にたくさんのことをして、
何か成果を出したり、
出せない何かについて悩んだり
苦しそうでも充実しているように見える。

私はと言えば、
それをみて焦るばかりで何をするわけでもなく
ただ、堕落の淵を覗いてはうっかり足を滑らせ底にうずくまる。

悩みと言えば、どうしてこうなんだろう、ってそればかりで
そればかりで・・・

そればかり・・・・・・


誰かがいないと駄目なのかな。
でも誰かがいても駄目なのは薄らと分かっているし
何が足りないんだろう。

いつも楽なほうにばかり逃げているつもりなのに
気がつけば苦しくなっているし
つらいことばかりになっている。

全然楽じゃない。

せめて楽ならまだ報われるのに、
これじゃ、何にもなっていない。



人生はこんな暇つぶしにもならないことではないはずだ。
せめて暇つぶしにしなくては。
暇つぶしが高じれば、何かのめりこむものが出てきて、
いや、それは楽観的過ぎる。
いやいや、だからと言って最初から厳しく考えるのはよくない。

でもでも、こんなに集中力がなくて、飽きっぽくて、やる気がなくて、
かと思えばやる気があるように急に動き出し、
「お!」と思った次の瞬間には「ぷしゅ~」っとなり
やっぱり集中力がなくて、飽きっぽくて、手を出してはみたものの、
何もせずにほうってあるamazonから送られてきている箱とか

買った瞬間に興味が霧散してしまうとか
もう末期すぎる。


自分探しの旅に出るとか考えて、
ふと気がついたらそれをする「自分」がいないことに気がつき
「探すべき自分がいない」よりひどい。

何がしたい?じゃなくて
何が出来る?

う~ん違うな・・・・・・

周りから何がしたいか分からない!
と言われると、それは正しく理解していると思う。
だって、本人が「いや、何がしたいんだろう?」って思っているんだもの。正しい。

何をしていたんだっけ?

多分それに近い何か。



生きる意味とか、
これからの人生についてとか、
社会について思うことを語らせたら
ティッシュペーパーよりも薄いくて軽いこと間違いなしで、
そこに突っ込まれると、お手上げになる。


でもこうやって生きているからには、何かをしているはずで、
誰かの助けを借りているはずで、
助けているヒトも、全く見込みがなかったら放り出すのもやむなしだから
きっと何かがあると期待してくれている。



その期待されているものは何なんだ?
一体何がそうさせているの?

分からないよ、何もかも。
どうしたらよいか教えてくれるヒトももういない。
私が私自身でなんとかしなくちゃいけないんだ。
たった一人で、全部抱え込まないと、意味がない。
知らないことを渡されても、聞かれたヒトも困ってしまう。

だからせめて、意味が分かるまで、一つ残らず落とさないように大事にしないと。

なぜ貧困があるのか、どうしたらなくなるのか、
争いはどうして起こって、止めることは本当に出来ないのか、
飢餓や苦しみはどうしたらもっとなくせるのか、
差別も妬みも全てがない世界はないとは分かっているけれど、
それらが程々で、できればのほほんとしていて、
でも競争はがりがりで、切羽つまって、先が見えない社会に絶望して
そんな世界はどうしてつくられるのか

それらを全て解決しないと、
やっぱり今日もゴロゴロだらだらして
先には進めない。

でも手のひらにのせるには大きすぎてどうしたよいか途方にくれてしまう。

私に出来ることって本当にあるんだろうか・・・・・・
Comment
この記事へのコメント
うーむ
そんな感じで今までなんとかやってこれているっていうのは、もはや運とか人脈とかじゃなくて、むちゃくちゃ優秀なんじゃないか? とワタシは思うんですけど。
2009/ 08/ 16 (日) 22: 54: 25 | URL | maya # niSanOG6[ 編集 ]
そうなんですよねぇ(ナニ
といってもらえるととっても嬉しいです。

実際のところ優秀かどうかは別にして、とってもとっても恵まれていることは確かです。

まず、親。これはガチ。感謝しまくりです。
あとは友人。mayaさんを含めてみんなに心配かけっぱなしですが。これは人脈とかいうレベルではなくてもっと魂に近い部分の話。


運はあるようでないのが私ですが、それを不幸だと思った事がない。むしろ美味しい。
落ちるのも早いけど、回復するのも早いのが私なので、一晩寝れば、「何書いているの?このヒトは」ってなると思います。

意識していないだけで、本当は水面下で必死に水をかいているのかもしれない。でもそれは「他の何か別物」と認識している可能性はありますね。
棚から牡丹餅ではないですが、違うことをやっていてなぜかそれが別の部分で評価されるっていうのはあります。

私の場合、一緒にいて、「安心するわ~」というのと「いらっとする」の両極端に分かれるみたいです。こんな生態なので……


ところでお萩や牡丹餅が美味しいのに、どっちがどっちだか分からなくて、とにかくこの時期は好きなのです。和菓子LOVE。
そちらはこういう(食)文化的なものがたくさん色濃く残っていそうでちょっと羨ましい。
2009/ 08/ 17 (月) 00: 13: 14 | URL | MK # EGTCt1XI[ 編集 ]
なんかとっても癒されました
何か走ってはじめて自分を確認する人が多いけど。、走っていない何もしないときの心を
薄く軽く美しく言葉にして
しかも一瞬の感覚を楽しめるのはMさんの才能だと思う・・・読んでいてすごく癒されて幸せ気分・・(なぜ癒されるのかはらら自身も不明だけど・・・)
あ、秋に食べれば萩の花にちなんでおはぎ
春に食べれば、牡丹の花にちなんでぼたもち
おはぎと緑茶
きちんと正座して食べるとおいしい(*^_^*)もぐもぐ
2009/ 08/ 17 (月) 16: 24: 12 | URL | らら # 1wIl0x2Y[ 編集 ]
ありがとう
才能・・・・・・そうなのかな?
なんだかそういわれると嬉しいですね。

癒されるって本当は自分自身でその力を持っていて、でもそのスイッチの入れ方を忘れているだけなんですよ。それで時々その入れ方を思い出させてくれるような人がいて・・・・・・そういうことなんだと思います。
相性というか・・・私は何もしていないって事です。
助けるのはいつでも自分自身なんです。

ららさんにも何か深いところで繋がっていて助けてもらっているのですね。感謝しています。
一度お会いしたいものです。
お萩と牡丹餅はそういう理由なんですね。どうりで、牡丹と漢字が出てくるはずです。
どちらも普通のまんじゅうとは違う逆の構造。面白い。
2009/ 08/ 19 (水) 00: 12: 38 | URL | MK # EGTCt1XI[ 編集 ]


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