色々なことを、気の向いたままに。
事象境界線
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
こんな夜中に
2008年 07月 05日 (土) 04:12 | 編集
凄いロッキンに行きたくなってきた。
というかロッキンでなくてもいいけど、暑いほうがいいのかもしれない。

それで言えば今年は最高に熱いと思う。

今はといえば水の中が私の生活の中心なのでロッキンなんていけるわけがないのだけど、いけないから「行きたいな」と思ってしまうあたり、私という人間がどうしようもなく愚かなのだと思う。

それは手に入れられないとわかっていても手に入れたいと思ってしまい無駄にあがき続けるということでもある。そう、別に足掻いて手に入るなら、蚤のように私は足掻きもがき、ついでに苦しみ、最後に手につかむ。

こう書くとなんだか高価な、綺麗で、珍しいなどそんなものを想像するかもしれないけど、実際は100円程度のどこにでもあるようなもので、むしろ100円は難しくて数千円位かもしれないけど、どんなに高くても1ヶ月程度の生活を辛抱していれば手に入ってしまうようなそんなものなんだ。

ね、どこまでも愚かでしょう。

だから私は本当の意味で自分自身が何をしたいかよく分からずに手探り状態で前に進んでしまう。
結論から言えばその選択と行動が今の私に集約されて形成されているのだけれど、それって成功でも失敗でもなく、まだまだ途中って事なんだと思います。


私は私の考えがとても普通で極端でおかしくもないが、少しだけ考え込んでしまうようなものであることをしっているので、言われた人が一瞬理解できずに誤解していても全く気にならないばかりか、その人がそのことで逆に恐縮してしまうと、少し困ってしまう。いったい人は「何に」たいしてそんなにへりくだっているのだろうか?自分と自分以外がいない世界では特に気にする必要がないけれど、気にしないといっている人ほど、多くのことをとてもよく気にしている。そしてその場合は自身の欠点もよく分かっているのに、それがアウトオブコントロールであったりする。それはどうしようもないのではなくて、どうしようもしたくないと思っているだけであるような気がする。別に本当に思っているなら~と考えているわけではなく、本当に思っていようがいまいが、やっている事はやっていて、やっていない事は「やらない」のです。

本当にそれだけ。

だからとにかく考えても考えなくても「やってみる」というのはそれなりに価値ある行為だと思う。その中身がどんなものであったとしても。

こう書くと「その中身が死ぬとか殺すとかだったらどうなんだ」といわれたりするが、それでもどっちでも良い話です。そもそも「良い悪い」なんて一言も書いていないのだし。ちょうど便利なものが使い方によっては怖いものになってしまうのと同じように物事には多面性があって、それがたまたま一つだけしかない物もあって、普通はたくさんの事が考えられるんだってこと。


結局私自身も過去に縛られているのかと思うとゾッとする。いつまでたっても自由になれない。
Comment
この記事へのコメント


コメントを投稿する
URL :
comment :
password :
secret : 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright (C) 事象境界線 all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。