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座右の銘
2008年 05月 25日 (日) 01:10 | 編集
座右:傍らにおき
銘:刻み戒める

戒めであり
励ましであり

そして希望であり
絶望でもある。

昨日寝る前に少し思い浮かんだものがある。
もしかして見ようと思ってみないでしまうのは、無意識にそうしているのは、期待したものが壊れてしまうのを感じたくは無いからではないのか、と。
ありうる。これはもしかしたらその通りかもしれない。そこを誰かと行くならば、と条件をつけることによって、
「期待したものではなかったけど、『今日、この人と楽しく過ごせてよかった』などと保険をかけておくのだ」
っていうことか。浅ましい奴だ。


すぐに影響されやすいから、窓から全部投げ捨てて(ポイ捨て禁止!)、空っぽにしてやろうとか、でもカーペットだからフローリングは無理やな~などと、ボダラ宮の話を聴く。昨年、今のチベットがこんな状態になってしまう前に行ったそうですが、ボダラ宮って伽藍なのか?

今は行きたくても入れない、考え方の違いを目前に示されて、コレだから人の中というのは気分が悪くなる。

人は考えを譲らない。

私は考えなんて譲ってしまう。いいよ、そんなものは勝手に全部もっていくといい。あれもこれも必要なら私の中から欲しいものを持っていくといい。でも私は私だから、誰のものでもない。


雨が降っていたので窓を開けて音を聴きながらベッドで朝から夜まで横になる。
雨は窓から少しだけ入って部屋を濡らす。
夢を見た。

起きて傘を差して買い物にでる。食べるものがないから、ヨーグルトを買う。冷蔵庫の半分以上はヨーグルトで、残りが豆乳で(牛乳があまり飲めないから)、残りは少しの調味料と卵。

レタスがあった。

料理が思いつかなくて、とにかくレタスを千切って、水にさっとさらし、冷蔵庫で冷やすことにした。明日の朝にはパリッとしたものが食べられるだろう。



そうやって座右の銘を考えていたら、怠惰とか堕落とかそんな事しか思い浮かばなかった。
隙があるといつでも湧き上がる感情を押さえ込むのに必死で、他のものに心が割けない。

やはりおかしいのか、おかしいのだろう。

座右の銘は「只管多坐」にしよう。


というわけで出たばかりのDVDを探し出してみる。そういえばFFACのときも借りてみたよね。借りてばかりだ。

いいなぁ。でもOPがどこからどこまでなのか分からなかった。というかない。
どうしても綺麗なものばかりに目が行ってしまう。

ACの時のようにエンドレスで延々と見てしまった。
鍵をかけないと無用心というが、もう何年も前から鍵はかけていない。そんなに無用心なのかなぁ。いつも勝手に誰かが入って、何かをして、出て行く。それだけなのに。

たとえば私は普段眼鏡をかけることはほとんど無い。
視力は0.1も無く、全く見えていないと思って良い。ぼんやりした形と、色と、何かが動いている。それだけで十分。それでも私に必要ならば、それが誰だか分かるし、理解もできる。

目を合わせない、そういわれることもある。それは私も自覚していて、話をしている時に目を合わせることがない。見えないので目を細めることも無く、漠然と虚空を見ているのだけど、そういう癖がついてから、いつの間にやら目を見ることが無くなった。

今は意識的に目を合わせるように、思い出した時に、そうしている。


それと同じことで知らなければ、惑わされることもない。
見なければ、欲におぼれることもない。


本来考えることじゃないんだ。
思ったままを思ったままに過ごせばいい。行動すればいい。それだけなのに、それが出来ない。
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