今日は東京にでてご飯でも食べよう、そう思って電車に乗っている訳ではない。
なんとなくお買い物、ショッピング、そんなものをしてみようと思いたったのだ。
もし良いのがあったらウェットや鎖でも買って首に巻いてみようみたいな。魔除けなら銀に決まってる。
ところが目的地につくまえにショッピングはなくなり食事になった。もちろん最終的にはご飯でも食べようと思っていた(過去形)。考えてみたら目的地は決めておらず、そんな体たらくだから途中を省く。私の人生全般にいえることだが、だからうつけなのだ。それをしてためになったためしはなく、むしろ酷い目に会うこと千客万来である。
そして改札機を通ったら現れた。

「だれでもトイレ」
なにこのみんゴルやドラえもんみたいなネーミング。そういえばどらえもんはどこが片仮名だったろう。いまだに人気が衰えないのは、やはりみんなのび太になりたいからだろう。
あやとりが上手かったら人生サイコーだよな。
そんな訳で浅草線に乗って羽田方向に向かってる。
これはいけない気がする。第一に急行で降り損ねたら最後、羽田に行くしかない。羽田に行けばやることは飛行機に乗ることで、そしたら飛行機で行くような所に行ってしまう。ドコがいいだろう?福岡?
違うそんな事ではなく、私は今、PHS一つ、本二冊、御財布一つ、札二枚しか所持していない。これをもう半分化石のようないつものバッグにいれてフラフラしている。
今日は買って放置していたZENも持っている。
これでは不味い。しかし人間と謂うのは不可解な生き物で、ダメだ駄目だと思えば思うほど、してしまう、やりたくなってしまう理解不能な生き物である。だからこの世から争い浮気が絶えないかは些末な事なので論じない。
私は空を飛んでそのままその辺の宿に泊まればよいものを、知らない人にひょこひょこついて行きそうな事このうえない。
ご飯あげるからおいで?なんて言われたら恋は盲目、愛は猛毒、罠にかかったマタタビつき猫に違いないので、いや絶対そうだ!
何を言っているか分からずに、所でどこで降りて食事にしよう。
誰か一緒に行きませんか〜的、主体性のなさ。